平塚氏は脚本をプロットなしで頭から書いていくそう。
面白いシーンかいてその次も面白いシーン書けば面白いシーンだけになって最終的に面白い芝居になる。
みたいな考え方をしてるのかなと思う(もしくはどっかでそう聞いた)。
実に論理的だ。
そのせいか、オイスターズの芝居でなにか問題とか謎が起きた時、解決する保障はないと思っている。なぜならこのシーンを書いてるときは平塚氏だって思いついてないのだから、、
まあ程よい緊張感も残るが、作者の事を考えてしまってる点で良し悪しかもしれない。
今回の「ここはカナダじゃない」に関しては割と謎が解決してる方だと思う。
ほぼほぼここは愛知でカナダじゃないし、パラレルワールドでもない。
謎が残ってない訳ではないが(添乗員が何故いたのか?とかパスポートの問題)とか。
ほぼほぼというのは決して100%ではないから、想像の余地を残してある。
舞台に関してだだっ広い素舞台。
周りの景色に関しても台詞のみ。
一度登場人物のフィルターを通したものを想像してるに過ぎない。
アフタートークでも少し触れてたが、いろいろ(音響や舞台)を極力排除することにより想像力を生かした作り。
想像したりそれが固定化されたりの波を楽しむ。
オイスターズは想像力高めさせといてたまに投げっぱなしにしてると感じるときもある。
もしここが本当の本当に愛知なら、あそこまで頑なにカナダだと思い込むのには無理があるんじゃないかと考えたり。舞台上でも示されていたが、よく似た別の場所というホラーエンドの線もあった。
初演時はまた中部国際空港にもどって終わるらしいが、後どちらかわからないエンドに替えたらしい。ここも正解を示すのではなく余地を残している。
想像させてずれた位置に着地させるのは笑いの基本でもあるが、オイスターズはピタッと着地させる笑いじゃない方が多様されている。
徐々に徐々に多分おそらくコッチか?みたいな、ソフトランディングしてる。
ゆえに笑いのタイミングが個々の客で違いくすくす笑いを生んでいる。あれもしかしておかしい?気づき、ある点に達した奴から声にだして笑っていく。
大きな笑いにはならないが、常にくすぐられているようなおかしさに包まれる。
ほかの客の笑い声がキーになり笑いが起こる。
連鎖していく。
前半はいかに気づかせずに引っ張るかが重要なテーマになってるように見えた。気づいたら話が進んでしまうからね。ここは愛知だ!といやカナダかも?の綱引き。
オイスターズってバスとかタクシーとか運送屋とか 運転手がよくでてくるね。
思ってる印象よりはわかりやすいお話が続いている。まあこれは再演だが。
僕の理解力or許容力が上がったのか。それともオイスターズが変わったのか
コメントをお書きください